第2回 【連載】ドイツ文学者(魔女研究家)西村佑子先生が語る「ドイツの薬事博物館と薬局」 – 薬プレッソ

西村佑子先生が語る「薬草と人間」

第2回 【連載】ドイツ文学者(魔女研究家)西村佑子先生が語る「ドイツの薬事博物館と薬局」

LINE
皆さまは薬草と人間のつながりについて考えたことはございますでしょうか。
本連載では、ドイツ文学者であり魔女研究家としてもご活躍される西村先生より薬草と人間の結びつきを歴史や文化の面から紹介していただきます。

ドイツの薬局共通のロゴマーク

ドイツの薬局には全国共通のロゴマークがあります。1930年頃のロゴマークは薬瓶にスプーンが3本添えられたものです。これは一日3回の服用を表わしています。スプーンということは薬が液体だったということですね。現代では錠剤や粉末もあり、一日1回とか2回の服用でじゅうぶんという薬が多くなっているのを思うと、このデザインは今では通用しないでしょうが、いかにも実直なドイツ人らしいロゴマークだなあとほほえましく思いました。
そして、ナチス政権下の1936年にこのロゴマークは変更されます。薬局(ドイツ語でApotheke)の頭文字Aと人間を意味するルーン文字(古代ゲルマンの文字)とを組み合わせたものです。そしてドイツ敗戦後の1952年に今の新しいロゴマークになりました。

▲1929年に採用されたロゴマーク

▲1936年からドイツ敗戦までのロゴマーク


▲現在の全国共通ロゴマーク

現在のデザインは、ナチス時代に採用されたルーン文字の代わりに杯と蛇を組み合わせたものになっています。これは健康を神格化したギリシャ神話の女神ヒギエイアのシンボルです。また、世界保健機関のロゴマークには中央にヒギエイアの父である医神アスクレピオスを表す杖と蛇が描かれています。
蛇といえばイブを誘惑した邪悪な存在(旧約聖書創世記)や恐ろしい毒をもつ毒蛇が思い浮かぶでしょうが、蛇は脱皮するので復活(再生)のシンボルでもあります。それで蛇は古代から現代まで医学や薬学のシンボルとして用いられているのです。

▲ヒギエイアのシンボルマーク

▲世界保健機関のロゴマーク

▲アスクレピオスのシンボルマーク

ドイツの薬局と薬事博物館あれこれ

ドイツに行く機会がありましたら、赤いAとヒギエイアのシンボルがデザインされた看板を見つけてください。そこが薬局です。16世紀に作られた見事な装飾のあるファサード(正面玄関)を持った薬局もあります。そういう薬局が今もちゃんと営業しているのですから、見ているだけでワクワクしてしまいます。
薬草を入れた薬壺がずらりと並べられた棚や、色鮮やかな模様の描かれた薬用引出しがある薬局、古い薬用秤や乳鉢などを飾った薬局、予約をすればかつての調剤室を見せてくれる薬局もあります。16世紀から18世紀にかけて作られた薬局めぐりのガイドブックまであるのですから、驚きです。

▲1598年創業、今も営業しているラーツ薬局。(北ドイツ・リューネブルク)


▲ドイツ博物館の薬事コーナー(ミュンヘン)


▲こんな調剤器具も飾ってあるスワン薬局。(北ドイツ・フーズム)

▲『由緒ある薬局めぐり』(1992年)

古都ハイデルベルクの城内にドイツ一と言われる薬事博物館があります。薬の歴史を古代から説き起こす数々のパネル、薬草の標本、調剤室の再現など、どれもこれも興味深いものばかりです。
最初に紹介した「薬瓶とスプーン三本のロゴマーク」がある看板の実物も飾られています。この看板は現在ではここにしか残っていないそうです。
また、私がたびたび訪れるのはインゴルシュタット(南ドイツ)にある医療歴史博物館です。薬として使われた薬草の標本、近代まで使われていたお産椅子、現代の先端医療機器など充実した品々が展示されています。今年の夏も訪れたのですが、なんと、残念ながら今年いっぱいで閉館になるそうです。いつかまたどこかで新たに開設されてもらいたいと思います。
このような大きな博物館以外にも、ドイツの地方都市にはかならずといっていいほど郷土博物館があり、そこにはたいてい薬事コーナーがあります。かつてその町で使われていた薬壺や古い調剤器具が並べられているのを見ると、ドイツがいかに薬の歴史を大切にしてきたかがわかります。


▲ハイデルベルク薬事博物館


▲客の注文を受ける薬剤師(1508年の絵・ハイデルベルク薬事博物館)


▲インゴルシュタット薬事歴史博物館


▲現代医療機器の部屋(インゴルシュタット薬事歴史博物館)


▲調剤室(ヘッセン州ホーフガイスマル薬事博物館)


▲ゴスラー郷土博物館(ニーダ―ザクセン州)

薬剤師の誕生

薬剤師の誕生は医薬分業成立と密接に結びつています。この制度は神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世(1194~1250年)によって行われました。これは王が医者に薬の処方まで任せたら毒を盛られるかもしれないと暗殺を恐れたからだと言われています。しかし、王を毒殺しようと思う薬剤師だっていたかもしれませんね。それで薬局方も作られました。これによって独立した薬剤師が誕生したのです。
こうして薬の調合や販売が規制された結果、怪しい薬を売るもぐり販売人が締め出されることになりました。ところが一方で、医学部に入学を許されなかった女性たちが長い年月かけて培かってきた薬草を使う調剤の経験と知識を活かす場も失なわれることになってしまったのです。
ドイツで初めて女性が薬剤師の資格を得たのは1906年のことで、マグダレーネ・ネフという女性でした。日本では1885年に東京薬科大学を卒業した岡本直栄だと言われています。女性薬剤師の誕生はドイツより日本のほうが早かったのですね。


▲薬を作る仕事場の風景(19世紀末の絵)

▲薬剤師生誕750周年記念切手(1991年)


▲乳鉢(ハイデルベルク薬事博物館のお土産)

▲ドイツで最初の女性薬剤師マグダレーネ・ネフ(ハイデルベルク薬事博物館)

おわりに

かつて医薬の世界はドイツがトップという思いが強かった時代があり、多くの医者や医学生がドイツへ留学しました。カルテも主にドイツ語で書かれていました。今は医薬の世界もグローバル化しています。医薬の勉強をするために留学する国もさまざまとなり、カルテも英語や日本語で書かれるようになりました。
とはいえ、薬剤師の世界でいえば、ドイツも日本も、薬剤師は圧倒的に女性の職業と思われているようです。ある統計によると、確かに女性薬剤師の就業率は日独ともに男性をしのぎ、薬剤師全体の約70%だそうです。でも、これからの薬剤師さんには、男女を問わず、いっそう活躍の場を広げていってほしいものです。
次回は夏の薬草と伝統行事について紹介します。

西村 佑子(にしむら ゆうこ):早稲田大学大学院修士課程修了。青山学院大学、成蹊大学などの講師を経て、現在はNHK文化センター(柏・千葉教室)講師。2014年「魔女の秘密展」(東映・中日新聞企画)の監修。主な著書に『グリム童話の魔女たち』(洋泉社)、『ドイツメルヘン街道夢街道』(郁文堂)、『魔女の薬草箱』、『不思議な薬草箱』(ともに山と渓谷社)、『魔女学校の教科書』(静山社)など。

LINE

この記事を書いた人

薬プレッソ編集部

薬プレッソ編集部

薬剤師のみなさんが仕事でもプライベートでも、もっと素敵な毎日を送れるような情報を日々発信しています。

「薬プレッソ」の「プレッソ」はコーヒーの「エスプレッソ」に由来します。エスプレッソの「あなただけに」と「抽出された」という意味を込め、薬剤師の方に厳選された特別な情報をお届けします。

「プレッソ」にはイタリア語で「すぐそばに」という意味もあります。編集部一同、薬剤師のみなさんと伴走しながら、みなさんの「もっといい人生、ちょっといい毎日」のために「ちょっといいメディア」にしていきたいと思っています。

あなたにおすすめの記事

転職事例