小石川植物園を東大教授と巡って訊いてきた話 おまけ編

たった一日の取材とは到底思えないほどに充実した内容を、これまでさまざまな切り口で紹介してきました。今回は「おまけ編」。これまでの記事で紹介できなかった「はみだし」的な内容をご紹介していきます。
「手紙が書ける木」タラヨウに残された、まさかのメッセージ。
教授:「これはタラヨウというモチノキ科の植物なんですけど、細胞に傷をつけると黒く変色するので、手紙が書ける」
ん? 手紙?
要領をつかみかねている我々をよそに、タラヨウの木の葉をペロッとめくった教授。スタッフの視線が集まります。
あ、本当だ! 「瀬」って書いてある。
教授:「この葉っぱはしっかりしているのでかなりもちます。釘か何かでひっかくとそのところが色が変わる」
なんと、鉛筆いらずで手紙が書ける木なのだそうです。
葉の左半分が欠けてしまい、「深瀬」なのか「浅瀬」なのか今となっては分かりませんが、かえってミロのヴィーナス的な未完全の美を醸しているような。
へえ〜とぼんやり、謎の「瀬」の字を眺めていると、取材スタッフの一人がとんでもないものを発見。
スタッフ:「なんか名前が書いてある!」
スタッフ:「あああ、『ノリコ大好き』って書いてある……!」
まさかの「木の葉の手紙」に込めた告白メッセージ!
この甘酸っぱい展開に、取材スタッフも大盛り上がりでした。
スタッフ:「これ、事前に書いておいて、ノリコさん連れて来たんですかね」
ちょっとその告白前の準備の様子を想像するとシュールではありますが、
「手紙が書ける木」を使って愛の告白なんて素敵です。
肝心のノリコさんの反応がどうだったのか、気になるところです……!
※ 園内の植物に傷を付ける行為は厳禁ですので、本記事を読まれた方は決してマネしないでくださいね。
旧東京医学校本館 – 東大最古の建築物は、本郷ではなく白山にあり!
南北方向に傾斜する大きな斜面をまたぎ、東西方向に長い小石川植物園の地勢に関しては、「薬剤師にしか通じない話」前編において簡単にご紹介していました。
東側にある出入り口から入り、「薬園保存園」「分類標本園」「小石川養生所の井戸」といった重要スポットを見て回りながら取材ルートは一路西へ。
敷地の西側の境界に差し掛かったところ、何やら素敵な建築物が見えてきたではありませんか!
教授:「あの建物は、もともと本郷の赤門の内側にあった、旧東京医学校本館という建物なんです」
薪場:「おお〜!!」
写真で伝わりますか、この魅力!?
緑の樹木に囲まれて、洋風の建築がもつ赤と白のコントラストが何とも映えるのです。小石川植物園に来られた方は、ぜひ一目見てみることをお勧めします!
しかも詳しく聞いてみると、ものすごい価値のある建築なのだとか。
教授:「これは東京大学で一番古い建物。昭和44年、こっち(白山)に移したわけです」
薪場:「めっちゃ格好いいですね……!」
教授:「うん、この場所はなかなかいい感じですよね」
小石川植物園の前園長である教授も、この建物はお気に入りのご様子。東大最古の建物をどこに移すか……という難しい問題だったはずなのに、そこで小石川植物園が移転先に選ばれたなんてすごいことですよね。
小石川植物園の「日本庭園」と、池についてのエピソード
ちなみに、旧東京医学校本館の前には、大きな池が口を開けています。
ここもまた、由緒のある土地なのだとか。
教授:「綱吉が子供のころに、下屋敷に使っていた白山御殿がここにあった。その白山御殿を造るために、ここにあった簸川(ひかわ)神社っていうのを、外に動かした事実がある」
徳川家とゆかりの深い土地だけあって、江戸時代の歴史的な史跡が随所に残る小石川植物園。
山本周五郎の小説の舞台になり、関東大震災時には被災者の避難所になり、最先端の植物学の研究施設でもあり……仮にフィクションでもいろいろ設定詰め込みすぎじゃないかとも思いますが、これ、ぜんぶ本当の話なんですよね。小石川植物園、恐るべし。
教授:「私たちもこの辺を日本庭園って呼んでいて、まぁひょっとしたら、300年以上前からこんな庭園だったのかもしれない」
「少なくとも、明治の最初のころにはあった」と語る教授。興味を引かれた薬剤師の高山先生が、さまざまな質問を投げかけます。
高山先生:「ここの手入れってどうされてるんですか?」
教授:「普段は職員が刈る程度なんですけど、泥で池が埋まったり、それからこの土が崩れたりすると、大規模な修繕をしないといけない。で、それをやると1億円とかかかる」
高山先生:「うわ〜……!」
急に桁の違う金額が出てきて、高山先生、顔色が変わってます。
高山先生:「水とかもずっと、入れっぱなしに?」
教授:「ええ。都内にもこういう庭園があるんですけど、大抵今は水道の水を入れてるんですよ。だけどここは……」
ここで教授が引き合いに出したのが、「旧養生所の井戸」の話。かつて「小石川養生所」があった跡地にある井戸は、12mもの高低差のある敷地の高所に所在していました。その井戸の水面がちょうど、低所側にあるこの日本庭園の池と、同じ高さにあるのだそうです(詳しくは「徳川吉宗公が『小石川養生所』でやろうとしたこと。」をお読みください)。
「だから水が染み出してくるので、一滴も人工的な水を入れないんです。自然なままの池」
高山先生:「そうなんですね。すごい……!」
さすがは300年の昔からあるという池だけに、東京のあちこちの公園に数ある池の中でも、極めてまれな方法で管理されているのだそうです。
小石川植物園の中で、隠れた名所と言えるかもしれません!
敷地内に佇む「太郎稲荷・次郎稲荷」
旧東京医学校本館と日本庭園の説明を受けている際、教授がふと園内にある「お稲荷さん」の話を持ち出しました。
教授:「あそこの鳥居の奥に次郎稲荷っていうお稲荷さんがいて、向こうに太郎稲荷っていうお稲荷さん。二つのお稲荷さんがある」
▲ 植物園の低地側を歩いていると遭遇する「太郎稲荷」。
東京のあちこちにある「隠れ神社」を巡る方が増えている昨今、植物園の敷地内にあるこのお稲荷さん、かなりポイント高いのではないでしょうか。
しかも、これもまたものすごく由緒あるお稲荷さんなのだそうです。
薪場:「このお稲荷さんっていつごろからあるんですか?」
教授:「吉宗のころの地図に、稲荷って書いてあるポイントがあるので、300年くらい前からあったんですね」
300年もののお稲荷さん……そろそろこのスケール感にも慣れてきたころです。吉宗の時代というと、「小石川養生所」が創設されたころ。『赤ひげ診療譚』に登場するような庶民が拝んでいた?と思うと、参拝もより趣深いものになりそうです。
教授が語る、モルヒネとケシの花の逸話(ノーカット版)
「小石川植物園に行って教授に訊いてきた『薬剤師にしか通じない話』【後編】」で、高山先生が発した「モルヒネの原料とされる『種』のケシって見たことありますか?」という問いかけ。紙幅の都合でカットせざるを得なかったのですが、実は、思わずうなるようなディープな会話が繰り広げられていたのです。
今回は「おまけ」編という事で、ノーカットでお送りします。
高山先生:「モルヒネの原料とされる『種』のケシって見たことありますか?」
教授:「ヨーロッパの植物園で見たことがあります。で、触れたりする。中国・武漢の植物園に行った時は、金網の中に入っていた。日本はウルサイですね」
高山先生:「ウルサイですよね(笑)」
教授:「非常にウルサイ(笑)。でも注意して見てると、時々道端に生えていたりする。特に、西の方では」
薪場:「モルヒネの花が日本の道端に生えてるんですか? それ、やばくないですか?」
教授:「ヒナゲシの種の中には、種を採った場所によって、本当のケシの種が混じってることがあって……」
なんと。ヒナゲシといったらあの「コクリコ」の別名じゃないですか。
コクリコ坂からモルヒネ……が見つかろうものなら、違う種類のドラマに発展してしまいそうです。
教授:「昔はインコの餌の中に、まだ発芽力のあるケシの種が入ってたりして、それが生えちゃうとか」
高山先生:「へえ〜……!」
教授:「で、種そのものには毒性とかないので、種は平気なわけですね。だけど、そこから生えた植物からは、モルヒネが取れるわけで、まあ生えた段階で非常にまずい」
……明日から、この記事を読んだ方が、ケシの花を探す旅に出たりしないことを祈ります。
薬剤師には常識? 「日本薬局方」の話
最後に、「薬剤師にしか通じない話」では掲載できなかった、はみだし的な会話を一つご紹介します。アジア各地域の医療と、「日本薬局方」について、教授・高山先生に語っていただきました。
薪場:「漢方薬って、地方によって違いがあったりもするんですか? 暑い地方と寒い地方でできる植物が違うとか、本場の中国だと違うとか」
高山先生:「なかなか表現が難しいですけれど、中国では漢方薬という表現は使いませんね」
薪場:「え、中国には漢方というものはない!?」
高山先生:「諸説ありますが、中国の医学(中医学)が日本で独自に発展したのが漢方だと言われています」
まさか「漢方」が中国で通用しない言葉だったとは……!
「アメリカンドッグ」がアメリカで売られてないのと同じくらい衝撃です。
教授:「私はこの分野の専門ではないですが、漢方が来る前にも、日本には自然のものを使った医療があったし、インドネシアに行けば「ジャムウ」とかまた別の医療があったと聞いています。そういう生き物や自然の物を使った医療はそれぞれあるようです」
薪場:「となるともしかして、薬剤師さんが扱う薬もこの地域のはよく使うけど、この国のは使ってないとかあったりするんですか?」
高山先生:「製剤になってしまうと、原材料は分からないので……」
教授:「日本には薬機法があるので、薬として使えるものってたぶん限られているんですよ。健康食品として使っているけど、薬としては使えないとか」
高山先生:「そうですね。少し話が変わりますが、医薬品は、その性状、品質の適性をはかるため、厳格な検査を得て世に出ています。もちろん、裏とか闇とかは別としてですが笑 確認方法、試験方法については『日本薬局方』という文書に記載されてます。いわゆる規格基準書です。そこには生薬についての総則も書かれています」
……ものすごい勢いで両側から情報が入ってくる。この展開、ものすごくデジャブな気がします。
こんなわけで、分類学者と薬剤師の引き合わせ、思った以上に接点が多く、大成功の幕切れとなりました。話題が広がりすぎて、逆にブレーキをかけるのが大変なくらいでしたね!
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