柚子湯だけじゃなく他に11種類もあるって知っていた?季節で味わう薬草風呂の歴史とは?

「お風呂の国」だからこその「薬草風呂」
寒い冬に限らず春夏秋冬を通し、日本人には「お風呂」が欠かせません。身体を清潔に保つことはもちろん、ゆっくり湯船につかって心身の疲れをリフレッシュする習慣は、海外にはほとんど例がなく、日本独特の入浴方法だといわれています。
「お風呂」が日本を代表する文化となった理由のひとつは、日本が火山国で、古代から全国各地に「温泉」が湧き出ていたことにあります。
日本最古の温泉と伝わる「湯の峰温泉(和歌山県田辺市)」は、第13代成務天皇(宮内庁による在位期間は131~190年だが、実際は4世紀中ごろの天皇ではないかと考えられている)の時代、熊野の国造・大阿刀足尼(おおあとのすくね)によって発見されたといわれていますので、日本人は少なくとも、約1800年前から湯を浴びて身を清め(当時は熊野詣前の湯垢離場(ゆごりば))、長旅の疲れを癒していたと考えられます。
また、医療技術の乏しかった時代は、伝聞による効能に期待して、湯治(温泉に入浴、飲泉などでキズや病気を治すこと)をする者も多かったようです。
このように、古くから「湯につかることは健康に良い」と理解されていたこともあって、日本では健康効果を期待して湯船にさまざまなものを入れて入浴する文化が生まれました。卑近な例では、「冬場は身体が温まるからトウガラシや日本酒を入れる」「肌がきれいになるので牛乳風呂や米のとぎ汁風呂に入る」という話もよく聞きます。その中でも、病気快癒や疲労回復などを目的に薬草を用いたのが「薬草風呂」です。
お風呂の始まりは聖徳太子?
温泉に入浴する習慣は4世紀頃からあったようですが、今のような「お風呂」の歴史は奈良時代に始まるといわれています。6世紀半ば(宣化3年(538)年、もしくは欽明13年(552)年)に仏教が日本に伝来しますが、その教えに「仏に仕える者は汚れを落とすため沐浴が大切」「入浴は七病を除き七福を得る」とあったため、多くの寺院で施浴が行われたそうです。
仏教隆盛に尽力した「聖徳太子(厩戸王)」は、四天王寺に「敬田院(戒律道場)」「施薬院(薬草園)」「療病院」「悲田院(困窮者救済施設)」を設け、身寄りのない高齢者や孤児、病人の救済にあたったと伝えられています。そのため、聖徳太子が沐浴(お風呂)の始まりともいわれますが、この話は事実か否か定かではないようです。
施薬院をはじめとする4院を制度として整えたのは、大仏建立で有名な聖武天皇の妃・光明皇后でした。厚い信仰心を持っていた皇后は、例えば施薬院(天平2年 (730年) 年、興福寺に設置)では医療に必要な薬草を諸国から集めるなど、人々の救済に力を注ぎます。
また、光明皇后は法華寺(父・藤原不比等の邸宅跡に総国分尼寺として建立)に病人治療の浴室を設けました。古くから「からふろ」と呼ばれるこの浴室は、お湯につかる風呂ではなく、現在のサウナ風呂のような蒸し風呂です。別室の大釜で薬草の湯を沸かし、その湯気を浴室内に送り込んで利用しました。
なお、この入浴施設は「庶民施浴」のため建てられた極めて珍しいものであると同時に、古代の入浴法を伝える貴重な建築物とのことで、国の重要有形民俗文化財に指定されています。
薬草風呂の歴史
奈良時代に始まった施浴習慣は鎌倉時代に入っても盛んで、室町時代においても幕府や寺院により引き継がれていきました。薬草風呂に目を向けると、平安時代に弘法大師・空海が体のキズや疲れを癒す、医療用の薬湯として設けたのがルーツだとされています。
戦国時代になると戦によって負傷した武将(武士)たちは、温泉で治療したようです。有名なものは「(武田)信玄の隠し湯」でしょう。また豊臣秀吉も温泉好きだったようで、戦火で疲弊した有馬温泉を復興させています。織田信長は、ポルトガルの宣教師に「これからは薬草栽培が必要だ」との進言を受け、岐阜県と滋賀県の県境にある伊吹山に薬草園を設け、西洋の薬草を栽培しました。これを信長が薬草風呂に利用したかどうかは分かりません。なお、伊吹山には今でもヨーロッパ原産の薬草が残っているそうです。
長い戦乱が終わりを告げ、平和な生活が戻ってくる江戸時代になると、入浴習慣は庶民にも広まっていきます。武家社会の間で行われていた端午の節句の「菖蒲湯」をはじめ、冬至の「柚子湯」といった「季節湯」が一般的になったのも江戸時代です。また、季節湯は治療を目的として処方化され、皮膚病などにも用いられました。
「季節湯」に使われた12種類の薬草
季節湯にはさまざまなものがあり、それぞれに特長や由来があります。
・1月:松葉
冬の時期に緑を保っている松は「不老長寿」の象徴。縁起の良い樹木としてお正月飾りには欠かせません。松には精油成分が多量に含まれており、身体の隅々まで温まるとして1月に松湯に入るようになりました。
・2月:大根葉
冬野菜の代表・大根の葉には、ビタミンA、B1、C、E、カルシウム、鉄、ナトリウムなどの成分が豊富で、また温泉に含まれる塩化物質や硫酸イオンなども含まれいます。もともと農村地帯では、冷え性や婦人病治療の民間療法として使われてきました。
・3月:よもぎ
草餅、草だんごの材料として親しまれている身近な薬草です。葉の裏の綿毛を乾燥させたものは「もぐさ」と呼ばれ、お灸として利用されています。
・4月:桜
桜湯に用いるのは樹皮。煮出した樹皮には消炎効果があるとされ、湿疹や打ち身などの炎症を和らげる目的で桜湯に入る習慣ができたそうです。
・5月:菖蒲
端午の節句(5月5日)に菖蒲を「勝負」や「尚武」にかけて、武家の子どもの丈夫な成長を願い、「菖蒲湯」に入ったのが始まりです。菖蒲湯はとても強い香りがしますが、この香りが邪気を払い厄難を除くとされたため、菖蒲湯に入る文化が広まりました。
・6月:どくだみ
多くの効能をもつため、漢方の世界で「十薬(重薬)」とも呼ばれており、「ゲンノショウコ」「センブリ」とともに日本三大薬草のひとつです。抗菌や消炎効果を期待され、昔からにきびやあせも、湿疹(しっしん)などに用いられてきました。
・7月:ももの葉
消炎・解熱に有効とされ、昔から日焼けやあせも、湿疹(しっしん)、虫さされなどによく用いられてきました。「夏の土用はもも湯に入る」のは、江戸時代からの習慣です。
・8月:はっか(薄荷)
「ペパーミント」と呼ばれるハーブの一種。メントール成分が爽やかなことから、のど飴でもおなじみとなっていますが、夏の風呂にも用いられています。
・9月:菊
菊の香りは夏の疲れを癒してくれるものとされてきました。菊湯には通常、乾燥したものを使いますが、生のまま使われることもあります。なお、菊湯には野生で多くみられるリュウノウギクという種類を用います。
・10月:しょうが(生姜)
辛味成分と精油成分が豊富で、湯に入れると身体を温める効果があるとされてきました。また辛味成分には、防腐・抗菌作用、抗酸化作用があるとされ、さまざまな漢方にも用いられました。
・11月:みかん(蜜柑)
みかんの果皮には含まれるリモネンという精油成分が含まれます。古くから蜜柑湯に入ると「身体が温まり、風邪をひきにくい」といわれてきました。
・12月:柚子
江戸時代より、「冬至の日、柚子湯に入ると1年中風邪をひかない」といわれてきました。なぜかというと、「冬至」を「湯治」にかけているからだそうです。
薬草風呂は「混浴」が認められていたから流行った?
慶長年間の終わり(17世紀初頭)になると、あちこちに銭湯が建てられ、「町ごとに風呂あり」といわれるほどに広まっていきます。その中には端午の節句の菖蒲湯、冬至の柚子湯をはじめとする「季節湯」を、身体に良い薬草風呂として紹介することもあったようです。
銭湯の主人は客寄せのために「草津温泉の湯花入り」「あせもや胃弱に効能がある」など、さまざまな効能をアピールしたといいます。ただ、中には色を付けただけのいい加減な薬湯もあったそうです。
なお、江戸時代の銭湯は混浴でした。幕末の日本に来たペリー提督は、その様子を見て「男女混浴なんて、日本人は野蛮な民族だ」と評したそうです。風紀の乱れを案じた徳川幕府は、「寛政の改革(時の老中・松平定信が発布。1787年~1793年)」において「混浴禁止令」を出しますが、ほとんど守られることはありませんでした。
銭湯側が御触れを無視して混浴を続けたのは、男湯と女湯を分けると水や燃料がかさんでしまうなどの理由があったからです。そこで禁止令に対して、営業形態を混浴の認められていた「薬湯風呂」にした結果、「薬湯風呂」が流行ったといわれています。
日々の疲れやストレスをリフレッシュしてくれる「薬草風呂」は、今も多くの人が利用しています。銭湯(スーパー銭湯も含む)や健康センターはもちろん、内風呂が普及してからは多種多様な「入浴剤」や「漢方」「生薬」を使い、自宅で薬草風呂を楽しむ人も多いようです。
薬草風呂は、健康に良いとされると同時に、季節を感じられるものでもあります。季節の薬草を浮かべた浴槽で、たまにはゆっくり手足を伸ばしてみてはいかがでしょう。