西村佑子先生が語る「薬草と人間」
第10回【連載】ドイツ文学者(魔女研究家)西村佑子先生が語る「春の薬草料理」

春の薬草
3月21日は春分です。まだ寒い地域もあるでしょうが、気分はもう春ですね。ドイツでは復活祭の準備に入ります。ウサギの形をしたチョコレートや彩色された卵などが店頭に並ぶようになります。春の薬草を使った料理も食卓を飾ります。今月は復活祭を中心に春にまつわる伝統的な薬草料理のお話です。
復活祭グッズ(ウサギのチョコレート)
聖木曜日には薬草を食べる
聖木曜日というのは復活祭前の木曜日のことです。イエス・キリストと12人の弟子たちが共に食事をした最後の晩餐の日です。カトリックでは洗足木曜日と言っています。
弟子の足を洗うキリスト(ストラスブール大聖堂/フランス)ー謙虚と愛を示した神の行為と説明される
この日に緑の野菜を食べる風習があります。そもそも人はずっと以前から春を祝って庭や森へ薬草摘みに出かけ、その年の無病息災を願って緑の野菜を食べていました。それがキリスト教の行事と結びついたのです。
薬草は7種類、9種類、12種類などさまざまで、料理の方法もさまざまです。
ドイツの自然科学者アレキサンダー・フォン・フンボルト(1769-1859)が作った詳しいレシピによると、コバノカキドオシ、クレソン、セイヨウノコギリソウ、ヒナギク、ヘラオオバコを使ったスープだったそうです。
これらはすべて民間治療に重宝されている薬草です。たとえば、コバノカキドオシ(シソ科)は消炎作用があり、腎臓炎や胃腸障害にも効き目があり、日本では子どもの疳やひきつけを鎮めるのに効果があるので、カントリソウと言われています。
コバノカキドオシ
今年の聖木曜日は4月18日です。キリスト教の大切な行事である復活祭が移動祝祭日なのでこの日も移動します。復活祭は春分の後の最初の満月の次の日曜日です。私たちが用いている西暦によれば今年(2019年)の復活祭は4月21日です。2016年の復活祭は3月27日だったのでほぼ一か月の差があります。この差は冬から春に向かう時期の植物に大きな影響を与えます。料理用の薬草が手に入らない場合があるからです。そんなときは薬草セットをパックにしたものが野菜売り場に並んだりします。
春の薬草料理グリーンソース
フランクフルト(ヘッセン州/ドイツ)の伝統的な料理「フランクフルトのグリーンソース」(フランクフルターグリューネゾーセ)は春の代表的な薬草料理の一つです。復活祭前後から野菜売り場には、パセリ、チャービル、アサツキ、クレソン、スイバ、ポリジ、サラダバーネットの7種類の薬草をパックにしたものが山と積まれます。これらをジューサーにかけて、ヨーグルトやサワークリームなどとあえたものがグリーンソースです。
グリーンソースのパック
7種類の薬草
グリーンソースはレストランでも食べられます。たとえば、この間私が食べたのは「ゆで卵とジャガイモ付きグリーンソース」でした。なんとメインがグリーンソースなのです。美味しかったですよ。
ゆで卵とジャガイモ付きグリーンソース
ソーセージ付きグリーンソース
グリーンソースがいかにフランクフルト名物かということを示す面白い例があります。フランクフルトの大聖堂(カイザードーム)に1500年頃の作という聖アンナの祭壇があります。その祭壇の下部には「最後の晩餐」の場面が彫られています。テーブルには羊を乗せた皿がありますが、これをよく見ると、なんとグリーンソースがかけられているのです。
「最後の晩餐」の彫刻や絵はたくさん見ているつもりですが、このようにソースをかけたものを見たのは初めてです。では「最後の晩餐」のメニューは本当はどんなものだったのでしょうか。
「最後の晩餐」(フランクフルト大聖堂アンナの祭壇の一部)
グリーンソースのかかった羊
最後の晩餐のメニュー
「最後の晩餐」は西洋絵画の大きなテーマとして多くの画家たちによって描かれてきました。それらの絵を見ると、テーブルの上に乗っているのはだいたいが皿にのった羊、ワインの入ったグラス、丸いパンなどです。では、あの有名なレオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」ではどう描かれていたのでしょうか。この壁画は剥落が激しく、20世紀に大規模な修復作業が行われたのですが、その結果、メインディッシュは魚だったことがわかりました。
新約聖書によれば最後の晩餐は「過越(すぎこし)の食事」だったと書かれています。どんな食事だったのでしょうか。魚はあったのでしょうか。
「最後の晩餐」(オスロ大聖堂/ノルウェー)
大きな羊ですね!
「最後の晩餐」(ラヴェンナ・サンタポッリナーレ・ヌオヴォ聖堂/イタリア)
過越祭のメニュー
「最後の晩餐」が行われたのはイスラエルの伝統的な行事「過越祭」の夜でした。旧約聖書によれば、モーセがエジプトの王ファラオの支配に苦しむイスラエルの民を導いてエジプトを脱出した夜が「過越の夜」です。
イスラエル人を指揮してエジプトを脱出するモーゼ
エホバ(イスラエルの神)はその夜エジプトを制圧することにしました。そこでイスラエルの民に門柱と鴨居に羊の血を塗っておくように命じました。そうすればエホバはそこを「過ぎ越す」と言ったのです。それでこの夜を「過越の夜」と言うのです。
また、エホバはイスラエルの民が旅立つ前に火で焼いた羊と種なしパンと苦菜(にがな)を食べよと命じます。
この苦菜が何であったかは具体的にはわかりません。ユダヤ教の人々は今も過越祭を祝い、その日には「過越しの食事」を食べています。苦菜はキクニガナかホースラディッシュかワサビを使っているようです。
「過越の食事」に魚はなかったのに、なぜ魚も描かれるのでしょうか。古代ローマの時代に弾圧されていたキリスト教徒が二本の線で描いた魚のマークを信仰の証として用いて以来、魚がキリスト教のシンボルとなったという説があります。「イエス・キリスト・神の子・救い主」の頭文字を組み合わせるとギリシャ語の「魚」になるのです。
過越祭を祝うユダヤ人
ヘッシシュリヒテナウ教区(ヘッセン州)で見かけた掲示板ーシンボルマークの上に「魚になれ」と書かれている
5月1日には薬草酒マイボーレを飲む
復活祭も終わると本格的な春です。5月1日には春祭りが行われます。マイバオム(5月柱)を広場に立て、仲間とマイボーレ(五月のポンチ)を飲み、春の到来を祝います。
マイボーレというのは、クルマバソウの葉を主としてペパーミントやセージ、コモンタイムなど数種の薬草を加え、白ワインにつけた薬草酒です。飲むときにはそれにシャンパンを加えます。
五月柱(ベネッケンシュタイン/ドイツ)
マイボーレ
クルマバソウ(アカネ科)は古くから民間療法に使われていました。干し草のような甘い香りは心を鎮める効果があるので、枕に入れる薬草の一つです。ただし、クルマバソウに含まれるクマリンは大量に摂ると頭痛や吐き気を起こすので、マイボーレを作るときは漬けたままにしないよう注意が必要です。
クルマバソウ(図解)
5月になれば、家庭でもベアラオホ(ラムソン)やルバーブの料理を作り、町には旬のホワイトアスパラガスを売る屋台がでます。もうすっかり春です。
アスパラを売る屋台
おわりに
春を告げる使者は、大気の香り、土の匂い、風の音などさまざまな姿で現れます。そんなとき、私たちは「緑の使者」のプレゼント「春の薬草」をいっぱい使った料理を頬張って身体の中から春を感じてみたくなります。来月は「魔女と悪魔の宴」にまつわる薬草の話です。
西村 佑子(にしむら ゆうこ):早稲田大学大学院修士課程修了。青山学院大学、成蹊大学などの講師を経て、現在はNHK文化センター(柏・千葉教室)講師。2014年「魔女の秘密展」(東映・中日新聞企画)の監修。主な著書に『グリム童話の魔女たち』(洋泉社)、『ドイツメルヘン街道夢街道』(郁文堂)、『魔女の薬草箱』、『不思議な薬草箱』(ともに山と渓谷社)、『魔女学校の教科書』(静山社)など。