西村佑子先生が語る「薬草と人間」
第9回【連載】ドイツ文学者(魔女研究家)西村佑子先生が語る「不老不死と薬草」

不老不死と薬草
誰しも無病息災でありたいものです。病気や災害に遭わずに一生を過ごすことができればこの上ないことです。ところがそれ以上の欲張りな願いを求める人々もいます。つまり「不老不死」という願いです。悲しいながら人間は個体としての命の時間に逆らうことはできません。それでも、不老不死あるいは不老長寿の薬を求める話はどの国でも語られてきました。今月はそのような昔話についていくつか紹介しようと思います。
不老不死の薬を求めて
今から4,5千年前の古代メソポタミアで流布されていた『ギルガメシュ叙事詩』に不老不死の薬を求める話が載っています。主人公のギルガメシュはウルク(古代都市名、現在のイラク南部)の伝説的な王です。彼は親友エンキドゥの死に遭い、死について深く考えるようになり、「永遠の命」を求めて旅に出ます。
王は幾多の苦難の末、ただ一人不死を得たという聖者から深い海の底にあるという不死の植物について教えてもらい、深淵に降りていき、念願の植物を手にすることができました。
ウルク(小林登志子『シュメル―人類最古の文明』中公新書より)
ギルガメシュ像(ルーブル美術館所蔵/フランス)
ギルガメシュが手に入れた草の名は「シーブ・イッサヒル・アメル」といい、「老いたる人が若返る」(月島昭男訳)という意味だそうです。彼はこの草を携えて帰途につきますが、途中で身体を洗うために泉に入ったすきに、この草の香りに惹かれてやってきた蛇に奪われてしまいます。ギルガメシュは嘆きながら国に戻ります。彼は人間の死すべき運命を受け入れ、現世における良き統治者として生を全うしたと思われます。
このテキストは粘土板に楔形文字で書かれていて、発見されたときはかなりの部分が欠けていました。この欠損部分を多くの研究者が補う努力を重ねてきましたが、完全な解読は今のところ無理なようです。
ですから、この草の説明も「根は刺藪」のようで「その刺は野薔薇」のようで、「よい香りがする」という部分しか判読されていません。これだけでは残念ながらどんな草だったかわかりません。不老不死の妙薬などあるわけがない、人は限りある命を大切にするしかないということでしょうね。心に沁みる名作です。
楔形文字(矢島文夫『ギルガメシュ叙事詩』ちくま学芸文庫より)
再生の薬
不死が無理でも、死から甦る薬はどうなのでしょうか。グリム童話の「ネズの木の話」は死から再生する男の子の話です。継母が継子を殺し、煮てスープにしてしまいます。それと知らず父親はそれを全部食べてしまいます。男の子の義理の妹は事情を知っていて、泣きながらお兄ちゃんの骨を拾って庭のネズの木の下に埋めます。すると枝の間から美しい鳥が飛び出し、町中で歌をうたって継母の悪事を暴きます。継母は鳥がくわえてきた石臼に潰されて死んでしまいました。その場所から炎が立ちのぼり、それが消えると男の子が立っていました。かなり残酷な話のように思われるかもしれませんが、よく読めば切ないほどの家族愛が感じ取れます。
何も知らない父親と泣く妹「ネズノ木の話」(オットー・ウッベローデ画)
お兄ちゃんの骨を埋める妹(モーリツ・フォン・シュヴィント画)
石臼で殺される継母(モーリツ・フォン・シュヴィント画)
ネズの木はドイツ語で「ヴァッホルダー」と言います。「生き生きさせる」という意味があり、再生のシンボル樹とみなされています。男の子の母親は亡くなる前に、死んだらネズの木の下に埋めてと頼んでいます。母親はネズの木が再生の木であることを知っていたのでしょう。そして自分が生き返るよりも息子の再生を願ったのでしょう。ネズの木の精は母親の願いを聞きいれたのです。
ネズ(ヒノキ科)の実は日本ではジュニパーベリーとして知られていて、ジンの香りづけやドイツの伝統的なキャベツの漬物(ザワークラウト)の味付けに使われます。消毒臭い香りは殺菌作用があるので、ペストの感染予防にも使われ、リューマチや風邪の治療にも用いられました。またその強烈な香りゆえに魔除けの木とも言われました。それでもネズの木に人を蘇らせる力まであるとは思えません。やはり童話の世界だからでしょうか。
ネズの木(図解)
ネズの木(リューネブルガーハイデ/ドイツ)
ネズの実(ジュニパーベリー)
若返りの薬
不死も再生も叶わなければ、せめて老いることなくいつまでも若くありたい、できれば若返りたい。そのような願いを叶える薬草はあるのでしょうか。
北欧神話の女神イズンは「永遠の若さを保つリンゴ」を管理しています。神々はその黄金色に輝くリンゴを食べることで若く活力に満ちた日々を送ることができていたのです。リンゴは現実の生活でも「一日1個のリンゴで医者いらず」と言われているほど身体によい果物です。リンゴが神々から人間に至るまで健康を約束する果物の中の果物ということはよくわかりますが、「一日1個で一日若返る」なら何個でも食べてしまいそう。
イズンとリンゴの木(アーサー・ラッカム画)
ドイツの文豪ゲーテの戯曲『ファウスト』では主人公のファウスト博士がライプツィヒ(ザクセン州/ドイツ)のアウアーバッハスケラーという酒場から悪魔メフィーストフェレスに連れられて魔女の厨に行きます。そこで魔女の作った飲み物を飲んで若返るのですが、残念ながら材料は書かれていません。
ファウストを誘うメフィースト(アウアーバッハスケラー入口の像)
魔女の厨(アウアーバッハスケラー内の壁画)
この酒場はゲーテがライプツィヒ大学で勉強していたときによく通ったという古い酒場で、今も人気のあるレストラン兼酒場として営業しています。あるとき私はこの店に行って「若返りの飲みもの」を注文してみました。出てきたのは赤ワインでした。若返ったかどうかは聞かないでください。
アウアーバッハスケラー
「若返りの飲み物」
ブドウもリンゴもビタミンやミネラルが豊富で、しかも脂肪の蓄積を抑え、血中のコレステロールを低下させ高血圧予防にもなるというポリフェノールがたくさん含まれています。このような植物の成分を研究することで、植物療法や老化を防ぐサプリメントも開発されてきました。これによって若さを保つことが出来るようになりました。これらの研究にかかわる薬剤師の仕事は大きな意義のあることですね。
おわりに
現代医学の世界では、たとえば臓器の再生が可能になるまで発展しています。やがては死も克服し、あるいは死から再生するような医療技術が生まれてくるのでしょうか。SFの世界のようですね。
人はやはり生きている限りその命を大切にし、けがや病気になったときは、それにふさわしい薬に頼るということになるでしょう。その薬の発展は薬草の研究から始まっていることを思えば、薬草を生み出した自然を大切にしたいものです。来月は春の訪れを知る月です。春と薬草のお話をします。
西村 佑子(にしむら ゆうこ):早稲田大学大学院修士課程修了。青山学院大学、成蹊大学などの講師を経て、現在はNHK文化センター(柏・千葉教室)講師。2014年「魔女の秘密展」(東映・中日新聞企画)の監修。主な著書に『グリム童話の魔女たち』(洋泉社)、『ドイツメルヘン街道夢街道』(郁文堂)、『魔女の薬草箱』、『不思議な薬草箱』(ともに山と渓谷社)、『魔女学校の教科書』(静山社)など。