第3回【連載】ドイツ文学者(魔女研究家)西村佑子先生が語る「夏の薬草と伝統行事」 – 薬プレッソ

西村佑子先生が語る「薬草と人間」

第3回【連載】ドイツ文学者(魔女研究家)西村佑子先生が語る「夏の薬草と伝統行事」

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皆さまは薬草と人間のつながりについて考えたことはございますでしょうか。
本連載では、ドイツ文学者であり魔女研究家としてもご活躍される西村先生より薬草と人間の結びつきを歴史や文化の面から紹介していただきます。

薬草の束を供える「聖母マリアの30日」

8月15日は聖母マリアが亡くなった日として、ドイツの場合、カトリックの州の一部では祝日になります。私たちがいわゆる聖書(正典)と言っている本には、聖母マリアがいつ生まれ、いつ亡くなったかは載っていません。しかし、聖書以外にも聖書に関連した文献(外典)がたくさんあり、その一つ『ヤコブ原福音書』(2~3世紀頃)にはマリアの生涯が詳しく書かれています。それによると、聖母マリアは9月8日に生まれ、8月15日に亡くなったことになっています。

マリアの誕生(15世紀頃、アルテ・ピナコテーク所蔵/ミュンヘン)
部屋の様子を見ると、馬小屋で生まれたキリストとは違って、裕福な家の生まれとわかる


聖母マリアの死(16世紀頃の祭壇画、アルテ・ピナコテーク所蔵/ミュンヘン)


「聖母被昇天」(1577-1579、エル・グレコ)
マリアは死後神によって天国に導かれる

マリアが亡くなった8月15日から生まれた9月8日までを「聖母マリアの30日」といい、マリアの祭壇に薬草を供えて清めてもらう習慣があります。ヨモギ、ミント、タイム、キクニガナなど7種類以上の薬草を束にします。清められた薬草は落雷や火事などの災害を防ぐお守りとして使われるそうです。


聖母マリアの祭壇(フュッセン市博物館/バイエルン州)


捧げられた薬草の束(フュッセン市博物館/バイエルン州)

聖母マリアのマント

聖母マリアに捧げられた教会を聖母教会(ドイツ語でフラオエンキルヒェ)といいます。「フラオ(エン)」は一般には「婦人(の)」という意味ですが、この「婦人」とはキリスト教の世界では聖母マリアを表します。


聖母教会(ドレースデン)


聖母教会(ミュンヘン)

教会には、イエス・キリストの像はもとより、聖母マリアの像もたくさんあります。これらの像にはいくつかパターンがあります。幼子イエスを抱いた聖母子像や、磔刑にされたキリストの遺体を抱いて嘆く像(ピエタ)などは馴染みがありますね。それらのパターンの一つに「聖母のマント像」があります。聖母マリアが大きなマントを広げ、祈る信徒を包み込んでいます。聖母マリアの慈悲と保護を表わしているのです。


聖母マリアのマントにくるまれた信徒たち(ボーデ博物館/ベルリン)


なんて大きなマントだろう(聖母教会/ミュンヘン)

この「聖母マリアのマント」と結びつきの深い薬草にバラ科のセイヨウハゴロモグサ(ドイツ語フラオエンマンテル)があります。葉は円形で、浅いギザギザの縁取りがあり、まるでマントを広げたような形をしています。見たところ地味ですが、女性にとっては実に貴重な薬草なのです。ハゴロモグサの葉の浸出液は特に婦人病に効き、産後の回復を促し、母乳の出をよくし、卵巣機能低下や更年期障害に効くという、まさに女性のための薬草なのです。つまり、この薬草は聖母マリアの慈悲を受けた薬草ということなのです。


セイヨウハゴロモグサ(バラ科)

夏至とオトギリソウ

すでに今年の夏至は過ぎてしまいましたが、夏至にまつわる行事について紹介します。キリスト教には聖人のための祝日があります。昔の夏至にあたる6月24日は洗礼者ヨハネの祝日です。ヨハネは、イエス・キリストが布教活動を始める前にヨルダン川でイエスに洗礼を授けました。それで洗礼者ヨハネと言われています。このヨハネの誕生を祝う「聖ヨハネの日」が6月24日の夏至なのです。


イエスに洗礼を授けるヨハネ(エリーザベト教会/ヘッセン州)

夏至は太陽が最も高く昇る日で、植物に最高の力を与えると信じられていました。夏至が終われば、やがて太陽の力は衰え、魔物たちが支配する冬に向かいます。
夏至の前日、女たちは朝早く起きて野山に行き、オトギリソウを摘みます。その花で作った花輪を頭に飾り、夜には広場で焚かれた火を囲んで踊り、冬の魔物がやってこないようにと願います。これはキリスト教が広まる前までは夏に行われる民間行事の一つでした。それがやがて「聖ヨハネの祝日」あるいは「ヨハネの火祭り」としてキリスト教の行事に取り入れられるようになったのです。


ヨハネの火祭り(19世紀頃の絵画より)

オトギリソウと血なまぐさい言い伝え

オトギリソウはドイツ語でヨハニスクラオト、英語でセントジョーンズワートと言います。ともに「ヨハネの草」という意味です。ヨハネは先ほど紹介した洗礼者ヨハネのことです。なぜオトギリソウが「ヨハネの草」と言われるのでしょうか。その大きな理由は薬効が最高になると信じられていた夏至の頃に開花するオトギリソウとヨハネの祝日とが重なったことです。しかし、もう一つヨハネにまつわる血なまぐさい事件が関係しています。
オトギリソウの花びらや葉には精油を分泌する腺がたくさんあります。その抽出液は真っ赤なのです。それがヨハネの血なのだという言い伝えがあります。それを紹介しましょう。


セイヨウオトギリソウ

ヨハネは当時の民衆に人気の高かった宗教家でしたが、ガリラヤ(現イスラエル北部とヨルダンの一部)の領主ヘロデ・アンティパスに捕えられ、牢獄で暮らす身となりました。逮捕の理由はヨハネがヘロデの結婚を当時の習慣に反していると激しく非難したからだと伝えられています。
しばらくして、ヘロデは自分の誕生日の祝いの席で義理の娘サロメが素晴らしい踊りを披露したので、何でも欲しいものをあげようと言ったのです。そこでサロメは母親に相談します。母親はヘロデとの結婚を非難されたのでヨハネを憎んでいましたから、「ヨハネの首を褒美にほしい」とサロメに言わせました。こうしてヨハネは斬首されたのです。そのときの血がオトギリソウの真っ赤な液になったというのです。
ヨハネの血にまみれた無惨な死に方をオトギリソウの赤い液と結びつけてこのような言い伝えが生まれたのでしょう。


15世紀頃の祭壇画(ハンス・メムリング/ベルリン絵画館)


オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の挿絵(1894年、ビアズリー)

あるとき私も道端に咲いているオトギリソウを摘んで潰してみたことがあるのですが、茶色にはなっても赤くはなりませんでした。ちゃんとした精油の作り方でないとだめなのでしょう。日本にあるオトギリソウは漢字で弟切草と書きます。気味の悪い漢字ですね。名前の由来は平安時代までさかのぼります。その頃、鷹のキズを治す優秀な鷹匠がいたのですが、その秘伝はオトギリソウの精油だったようです。彼の弟がこの秘密を恋人にもらしたため兄に切り殺されてしまいました。このときの血がオトギリソウの赤い抽出液と関連づけられたようです。
オトギリソウの抽出液は確かにキズの治療に効果があり、内服するとうつ病に効くとも言われています。オトギリソウは洋の東西を問わず、血なまぐさい謂れをもった薬草でもあるのです。


セイヨウオトギリソウの抽出オイル
腰、肩、関節のマッサージに使用


ドイツ中世の鷹匠を再現した野外ショー(ハノファー近郊ボーデンタイヒ)

おわりに

太陽の力が衰えないように人々はさまざまな行事を行いましたが、いくら祈願しても、やがて冬を迎えることになります。しかし、その前に待ちに待った収穫の秋がやってきます。次回は秋の薬草についてお話しします。

西村 佑子(にしむら ゆうこ):早稲田大学大学院修士課程修了。青山学院大学、成蹊大学などの講師を経て、現在はNHK文化センター(柏・千葉教室)講師。2014年「魔女の秘密展」(東映・中日新聞企画)の監修。主な著書に『グリム童話の魔女たち』(洋泉社)、『ドイツメルヘン街道夢街道』(郁文堂)、『魔女の薬草箱』、『不思議な薬草箱』(ともに山と渓谷社)、『魔女学校の教科書』(静山社)など。

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